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 ジャーナリスト 古川雅子

連載「カミオカンデはいかに生まれたのか」
​〜基礎科学の曲がり角に立って〜

第一回 初代カミオカンデが現代に投げかける問い

岐阜の山中に巨大な地下空洞が出現した。人工の地下空洞としては世界最大級の実験施設「ハイパーカミオカンデ」の建設現場である。宇宙の根本原理を探るこの壮大な実験は、1983年に始まったカミオカンデから数えて3世代目。宇宙から絶え間なく降り注ぐ謎の素粒子ニュートリノの研究は、日本の「お家芸」と言われる。研究の発展とともに、建設費は初代の100倍を越す650億円に上るが、ニュートリノの性質をより精密に測定することで宇宙誕生の謎の究明につながるのではと期待が高まっている。一方で、ノーベル賞を2度生んだ3世代の実験の系譜を辿ると、現代の基礎科学が直面する深刻な課題も見えてくる。

第二回 渡りに船で“小柴親分”が挑んだ壮大な実験

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2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊は,2020年に天に召された。だが,なぜ私は20年以上もこの人物を追い続けることになったのか。1つは“小柴組の親分”と呼ばれる特異な個性。もう1つは,本人が遺した「もってこいの実験計画だった」という言葉から生じた実験成立の謎だ。実験企画を売り込む側というイメージの強かった小柴だが,カミオカンデは持ち込まれた企画に乗った格好だ。当時,小柴は旧西ドイツで加速器実験に全力投球しており,全く毛色の違う実験企画が突如持ち上がったことは興味深い。なぜ1978年を機に世紀の実験が日本で始動することになったのか——。KEK初代機構長でカミオカンデ実験の発端を作った菅原寛孝に当時を回想してもらった。

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