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中絶薬導入が大幅に遅れた日本の事情——ヤフーの記事は何を明らかにしたのか?(ICWRSAニュースレター 古川雅子著 記事の邦訳)

ICWRSAニュースレター 2023年8月18日号(古川雅子著 記事の邦訳)




中絶薬認可が遅れた日本の事情 ICWRSAニュースレター 古川雅子 記事の画面
中絶薬導入が大幅に遅れた日本の事情 ICWRSAニュースレター(古川雅子の記事)のタイトル画面

古川雅子 著

(以下、日本語訳)


日本のジャーナリストである古川雅子氏は、28人の関係者へのインタビューに基づき、公文書やその他の情報源から得た証拠をもとに、広範な調査レポートを執筆。その連載は、7月28日から30日にかけて日本のヤフーニュースに3回に分けて掲載された。このエッセイで、彼女は連載執筆のために行ったインタビューと調査について振り返った。

(これは、2023年8月18日発行のICWRSAニュースレター特集「中絶薬2023年に日本で承認」の3本の記事のうちの1本です)

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なぜ日本では中絶薬の導入が35年も遅れたのか——。

私のレポートは、この疑問に答えるべく執筆したものです。取材を通じて、私は多くの問題、特に日本産婦人科医会(JAOG、以下「医会」)がこの大幅な遅れの原因にどのように関与していたかを見出しました。


私は当初、35年の遅れの原因がどこにあるのか見当もつきませんでした。そこで、製薬会社、現場の産婦人科医、医会の幹部、政治家、官僚、SRHR政策に詳しい学者、中絶薬の承認を求めてきた女性たちと、さまざまな人々にインタビューを行いました。


私はこのシンプルな問いを探求し、明確な答えを裏付ける証拠を探し出すのに4カ月を要しました。私が調査を開始したのは、厚生労働省がミフェプリストンとミソプロストールを含む中絶薬(商品名メフィーゴパック)を承認する1カ月前の、今年3月のことでした。この承認は、日本のリプロダクティブ・ヘルス政策がようやく一歩前進したことを意味します。しかし、この経口中絶薬は1988年にフランスで承認されて以来、93以上の国と地域で承認されています。なぜこんなにも承認に至るのに時間を要したのでしょうか?


これまでの報道では、その答えを知るには不十分でした。医師団体や宗教勢力、政治家の影響力を挙げる人もいましたが、詳しく取材してみると、噂話や予測が多いことに気づきました。そこで私は、この疑問に答える証拠を見つけることに集中しました。私のヤフーレポートでは、主に以下の3点に関連して、日本特有の事情が明らかになったのです。


(1)日本では長年にわたり、人工妊娠中絶(D&C)が主要な中絶方法として広く行われており、安全な中絶のための新たな選択肢を利用する道が閉ざされている。この背景には、医療も政治も男性が支配する構造があり、日本社会が女性の健康への配慮に欠けてきたことがある。


(2)日本の中絶に詳しい人たちは、中絶薬導入の遅れは、日本の中絶を管轄する医会に責任があると考えていた。医会幹部は、以前から中絶薬の存在は認識していたが、その導入には消極的な姿勢だった。私が見つけた文書や、私が話を聞いたこの組織の幹部たちの証言から、彼らが、中絶薬へのアクセスを制限する政策をかなり以前から支持していたうえ、日本がメフィーゴパックを承認した後も支持していることが明らかになった。


(3) 2012年、日本は世界保健機関(WHO)から、安全性の低い掻爬法を使い続けるべきではなく、より安全な他の方法に移行すべきだと勧告を受けた。このことは以前にも報告されていた。今回新たに医会の中心人物にインタビューしたところ、彼はWHOが指摘した人権問題に否定的な見解を示し、勧告に対しても後ろ向きの姿勢だったことが浮き彫りになった。


また、私は製薬関係者にも取材しましたが、日本では女性医薬への社会的理解が進んでいないこと、製薬会社自身が臨床試験の立ち上げに苦労してきたことなどが明らかになりました。


取材を通じて、少なくとも、今回のメフィーゴパック承認までに、2度ほど、日本で中絶薬導入を模索した企業や個人が存在することがわかりました。


まず、1989年に製薬会社の日本ルセル(現サノフィ)がミフェプリストンの国内での開発を検討しました。しかし、同社の元社員は、中絶反対キャンペーンなどの「社会的要因」が計画をストップさせたと述べています。さらに、2010年頃には、ミフェプリストンの開発者の一人であるアンドレ・ウルマン博士が、中絶薬導入の可能性を探るために日本の医師と接触していたこともわかりました。しかし、日本の製薬会社や産婦人科医の関心が低かったため、当時は実現しませんでした。


結局、ウルマン博士が経営する英国のラインファーマ本社が日本の製薬会社2社に開発を依頼する形で、2014年に開発が始まりました。しかし、ラインファーマに対して医会が臨床試験を担当する医師スタッフを配置したのは2018年になってからのことでした。現在、医会の会長を務める石渡勇氏は、長い間、市場化に関心を向けてこなかったことを認めました。

「私たちが製薬会社に導入を強く言わなかったことも影響しているかもしれない」


歴史的な検証や医会幹部へのインタビューを通じて次第に明らかになってきたのは、彼らが「掻爬術を含む外科的中絶手術は安全だ」と固く信じているということでした。石渡医師は、掻爬と吸引(吸引には掻爬も含まれる)の方法がいかに安全であるかを繰り返し強調していました。


一方、石渡医師は、掻爬や吸引を受ける女性が、中絶薬と比較して、その処置をどのように受け止めているかという心理的側面については一切触れませんでした。ところが英国では、女性自身が利用可能な中絶方法についてどのように感じているかについての調査が行われています。また、スウェーデンでは、薬による中絶を選択した女性が中絶後にどのように感じたかについて調査が行われています。どちらの国でも、ほとんどが非常に肯定的な結果であることが発表されているのです。


石渡医師の回答を聞いて、私は、「なぜ医会が女性の希望に関心がないように見えるのか」と疑問に思いました。そこで、会長だけでなく、副会長の前田津紀夫氏にもインタビューを重ねました。前田氏は、女性の意見が中絶薬政策に反映されにくい事情について、次のように発言しています。


「2013年に組織内で早期中絶薬についての意見を話し合ったとき、そのグループに女性は1人しかいませんでした」


女性の望みや意思に対する医会の配慮の乏しさは、日本に存在する他のジェンダーギャップ問題と密接に結びついていると私は感じています。メフィーゴパック承認後も、日本の中絶の環境は一向に改善されていません。ようやく中絶薬が導入されたというのに、中絶薬へのアクセスを妨げる様々な動きが出てきてしまっているのです。


日本では、2023年5月からメフィーゴパックが使われ始めましたが、7月末の時点でも中絶薬を導入している医療機関は全国で30数件にすぎませんでした。ごく少数の医師が率先して薬を提供し始めましたが、同業の医師たちが地域の保健所に電話でチェックを入れていたこともわかりました。中絶薬を提供する医師に対して、仲間であるはずの医師が監視をしていたようなのです。医療の提供を困難にするこのような妨害行為が続けば、現場の医師たちは中絶薬の導入や提供の継続に消極的になるかもしれません。


取材を続けるうちに、メフィーゴパックの承認後もその使用を制限しようとする動きに、医会の意向が反映されていることが明らかになってきました。ある医会幹部の発言によれば、中絶薬の厳しい使用条件は「保守的な政治家の影響が大きいと聞いている」とのこと。厳格な運用へ誘導する政策に、政治家の関与を示唆すると同時に、医会が政治の動きを詳しく知っている、つまり、「政治との距離が近い」ことも示唆する発言だと思いました。そこで私は、医会と政治家の関係に焦点を当てて調べを進めました。


医会の資料を調べているうちに、「事業報告書」という医会役員の活動記録を見つけました。第1相臨床試験開始前の2012年から現在まで隈なく調べたところ、医会が特定の政治家と密接なつながりがあることがわかりました。特に私は、ラインファーマ社が第III相臨床試験を完了した段階の2021年における医会の上層部の行動に注目しました。中絶薬が国会で議論されていたのと同時期に、国会議員の間で産科医療に関する議員連盟が設立されていたのです。医会の幹部は、同時に厚生労働省の中絶薬担当部署とも折衝を重ね、政治家とも積極的に交流していました。議連に起用された政治家は、すべて保守派と呼ばれる人たちでした。そこで私は、議連に参加した国会議員の政治資金団体も調べることにしました。収支報告書まで調べると、医会がもつ政治団体から国会議員に多額の献金が支払われていることがわかりました。同年、複数の保守派議員に支払われた総額は300万円(2021年の為替レートで約27,000米ドル)を超えていたのです。


政治家たちは医会に便宜を図ったのでしょうか?

そんな疑問から、私は献金を受け取った2人の保守派の政治家にインタビューを行いました。一人の衆議院議員は、「議員連盟は中絶薬政策とは別の目的で設立されたものであり、献金と中絶薬政策とは無関係だ」と関係を否定しました。また、薬の承認に口出しはしていないとのことでした。


一方で、自民党の厚生労働部会では、中絶薬の承認後の管理体制が議論されていました。

「自民党内で、中絶薬承認後の運用を厳格化すべきとの指摘があった」とその議員は証言しています。


もう一人、衆院厚生労働委員長も取材に応じました。彼は、中絶薬の事後規制は、一部の議員の意向を反映したものであることを認めました。

「入院病床のある施設でなければ使用できないというルールは、次のような経緯で決まった:当初、中絶薬の使用は使用者全員に対して入院を条件とすべきだという厳しい意見も多数あった。最終的には少し条件を緩和することで合意した」


 彼はまた、こう証言しています。


「私は産科政策について特に詳しいわけではない」

「経口中絶薬の使用を検討する際、このような具体的な助言をしたのは医会である」


では、医会は経口中絶薬の運用に対して、いつから厳格な条件を求めていたのでしょうか?

事業報告書を読み直してみると、2013年9月25日に「経口中絶薬RU486に関する要望書」が厚生労働省の担当課に提出されていました。そこには、中絶薬に対する厳格な運用要件を医会が求めていることが初めて記載されていました。また、中絶薬が導入された場合、産婦人科の収益への影響を与えかねないという懸念も述べられていたのです。


そこで私は、この要望書を提出した人物であり、昨年春まで日本産婦人科医会の会長を務めていた木下勝之医師にインタビューを申し込みました。何度かの交渉の末、インタビューは6月中旬に実現。35年の遅れの理由を尋ねると、木下氏はこう答えました。


「早くから薬の存在は知っていましたが、日本に導入する必要はないと考えていました。現場の医師の中には、『掻爬や吸引は安全にできている。中絶薬を導入する必要はない』という人もいました」


私は木下氏に、掻爬のような手術を望まない女性もいること、WHOは薬による中絶の方がはるかに安全であると推奨していることも伝えました。しかし、彼はこう答えたのです。


「WHO は、薬の方が安全ですと言っています。しかし日本では、それに従う必要はないと思います。WHO は発展途上国の人たちの対応を主眼にして物事を進めています」


もちろん、これは事実ではありません。彼はまた、中絶薬の提供を入院病床のある医療機関に限定するという決定にも、医会の意向が反映されていることを認めました。結局のところ、木下氏の発言は、中絶薬導入の長期的な遅れに医会が加担していることを示唆するものでした。


さらに、ヤフーニュースに掲載した記事の第3回で、私は法整備の問題を提起しました。中絶薬導入の遅れの背景には、「中絶を犯罪視」し、中絶を「女性が行う犯罪」とする旧刑法の影響があると、中絶問題の専門家は指摘しました。日本では、孤立出産が報告される度に、女性ばかりが非難されてしまいます。それは、相変わらず日本が、「堕胎罪がある国のままだからだ」と指摘する女性の識者もいました。


私は今回の調査から、医師の消極的な姿勢が中絶薬の普及と使用を妨げていると確信しました。


さらに、これまでのマスコミの追及も甘かったと思っています。報道機関で政治部や社会部に所属する記者たちも含め、特定のテーマやスクープには関心を示すにもかかわらず、不作為の罪、つまり「女性のリプロダクティブ・ヘルスケアの質を向上させるために、なすべきことを怠った罪」には、誰も関心を払わないように感じています。その結果、これまで医師団体や保守的な政治家がメディアに厳しく追及されることは、ほとんどなかったのでしょう。


男性が医療、および政治やメディアを支配する構造から、女性と女性の健康への配慮が著しく欠けた状態が維持されてきたこと。これは日本における構造的な問題であり、同時に、偏見と強大な政治権力が絡む問題でもあるのです。女性のリプロダクティブ・ヘルスはもっと注目されるべきだと感じています。


最近、経口避妊薬の提供拡大アクションを組織している女性団体の記者会見が厚生労働省で開かれ、私も出席しました。その取材に駆けつけたメディアの中で、男性記者は一人だけだったのが印象的でした。


この中絶薬導入の遅れにまつわる取材を通して、私が強く感じたのは、次のことです。

男女を問わずジャーナリストが、権力者の不作為の罪も含めて、女性のリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)をめぐる問題の根源を可視化し続ける必要があるのだと。


 

ICWRSAニュースレター 2023年8月18日号


同上(アーカイブ記事)


出典(元になったYahoo!ニュース特集の記事)

PART 1: 「日本は女性医薬の審査がなかなか通らない」 なぜ経口中絶薬は日本で35年も遅れたのか https://news.yahoo.co.jp/articles/e5688b69db3b3837d043b907f75a081d830f668f

PART 2: 10分の「手術」と8時間待つ「飲み薬」 医会が経口中絶薬の導入に消極的な事情

PART 3: 中絶は「女性の罪」か――明治生まれの「堕胎罪」が経口中絶薬の遅れに及ぼした影響


著者について

古川雅子(ふるかわ・まさこ)

ジャーナリスト。上智大学文学部卒業。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など


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